よみがえる遺産
セント レジスのストーリー

当ブランドの豊かな伝統が、世界各地のすべてのセントレジスを特徴づけています。 その特徴とはつまり、セントレジスブランドのエッセンスです。

下の矢印をクリックすると、セントレジスの歴史をスクロールすることができます。
セントレジスブランドの歴史における特定の出来事の詳細は、日付をクリックしてご覧ください。

1880年代の
「アスター 夫人」

アフタヌーンティーや真夜中の夕食は、ニューヨークの「金めっき時代」に欠かせないものだったのです。 アスターのパーティーに参加できたのは、「400」として知られた仲間うちだけ。リストには、主催者であるキャロライン・アスターが選んだ市内の有名人ばかりが名を連ねていました。 由緒あるアスター家出身のアスター夫人が、そのリチュアルを通じて独力で築いたアメリカ上流社会の雰囲気は、今もセントレジスに息づいています。

1904年
ジョン・ジェイコブ・アスター4世

優れたビジネスマンであり、先見の明を持っていたカーネル・ジョン・ジェイコブ・アスター4世が目指したものは、紳士淑女とその家族たちがプライベートな環境で贅沢を楽しめる場所でした。 55丁目とフィフスアベニューの角にあるセントレジス・ニューヨークは、「アメリカ最高のホテル」としてデビュー。冷暖房や郵便配達用シュートなど、当時としては画期的な先端のテクノロジーを完備していたほか、エレガントなデザインでもその名声を高めました。

1912年
タイタニック

ジョン・ジェイコブ・アスター4世の非凡な人生は、1912年4月15日に悲劇的に幕を閉じます。 アスターの妻、マデラインが海外旅行中に妊娠したため、アメリカ帰国を決めた夫妻はフランスのシェルブールからタイタニックに乗船したのです。 船が沈み始めると、アスターは妻と看護婦を救命ボートに乗せました。彼らは後に救助されています。 アスターの姿が最後に目撃されたのは、船のペット預かり所から愛犬キティーを逃がそうとしているところでした。

1927年
セント レジス ルーフ

55丁目に一際豪華な姿を見せるセントレジス・ニューヨークは、セントレジス ルーフとして知られる華麗なボールルームなど、2フロアを増築します。 オープニングの夜にはガラパーティーに500人の客が集まり、18人編成のビンセント・ロペス オーケストラが出演しました。 以後、ジャズとセントレジス ルーフとは切っても切れない関係となり、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、バディー・リッチなどが定期出演して客席を魅了することになります。

1932年
オールド・キング・コールの壁画

ジョン・ジェイコブ・アスター4世は、その早すぎる死の前にマックスフィールド・パリッシュに、アスターが所有する別のホテル、ニッカーボッカーのためのアートを依託していました。 パーリッシュは、イギリスの童謡に出てくるオールド・キング・コールを、威厳と陽気な楽しさを併せ持つ存在としてテーマに選びました。 ニッカーボッカーの取り壊しにあたって壁画はセントレジスに移され、やがてニューヨーカーやホテルのお客様に愛される象徴的な存在となったのです。

1934年
ブラディメアリー

セントレジス・ニューヨークのヘッド バーテンダーであったフェルナン・プティオが、パリで実験的に作ったカクテルを完成させ、「ブラディメアリー」と名付けました。 その後「キング・コール・バー」のエレガントな客層には不向きだとして、これを「レッドスナッパー」と改名します。 トマトジュースとウォッカという意外な組み合わせは、瞬く間にアメリカのカクテル界の定番となり、セントレジスを代表するカクテルとなったのです。

1960
ITTシェラトン

アメリカ国内で最も豪華な独立系ホテルとして長い歴史をもつセントレジス・ニューヨークは、ホスピタリティー複合企業のITTシェラトンに買収され、世界各地に広がる約100軒のホテルのポートフォリオに参加することになります。 ITTシェラトンの世界各地への進出に伴い、セントレジス・ニューヨークも、ITTシェラトンのラグジュアリー部門として知られる同社の高級ホテル&リゾートの一部となったのです。

1991年
1億ドルの改装

総工費1億ドルの大改装を完了し、セントレジス・ニューヨークはかつての華麗な姿をそのままに新仕様で再オープンします。 新しいミーティングルーム、スパ、フィットネスセンター、ビジネスセンターが増築され、クリスチャン・ディオールとティファニーのデザイナースイートも加わりました。 ホテルのロビーには1904年のデザインが修復され、当時のパームコートがアスターコートとしてよみがえり、天井は豪華なロンプ・ルイユ技法で仕上げられました。

1999年
セント レジス ブランド

スターウッドホテルは、セントレジスの時を超えたエレガンスを世界最高のロケーションにもたらすことを目指し、セントレジス ブランドならではの、不変不朽の魅力をそれぞれに発揮する新しいホテル5軒をオープンします。 まず、セントレジス・アスペンとセントレジス・ヒューストンがオープンし、続いてグランドホテルローマ、北京インターナショナルクラブ、カールトンホテル,ワシントンD.C.がセントレジスになりました。

2006年
セント レジスAFICIONADO

教養あるお客様の興味や情熱にお応えして、セントレジスでは、通常では体験できないイベントへの優先アクセスを提供するセントレジスAficionadoを開始しました。 アクセスが限定されている一流オークションやコレクションへの参加や、年代物の高級ワインのプライベートテイスティング、世界的なファッションハウスのガイド付きツアーまで、見識あるお客様のために、セントレジスが世界で最も魅力的な体験の数々への扉を開きます。

2008年
セント レジス国際カップ

イギリスでの年次セントレジス国際ポロカップ開催により、ヨーロッパとアメリカの上流社会で長く愛好されてきたポロが、セントレジス ブランドと深く結びつくことになりました。 ブリティッシュポロの本拠地カウドレイパーク ポロクラブが試合会場として選ばれました。

2008年
中南米に進出

真っ白な砂浜と紺碧の海に囲まれた半島に位置するセントレジス・プンタミタリゾートは、メキシコの最高級エリア、リビエラ ナジャリットのバイーア デ バンデラスに、セントレジスならではのエレガンスをもたらします。 手作りのタイル、きらめくインフィニティープール、世界一流のレストランとどこまでも広がる海辺の景色に恵まれたセントレジスは、中南米の魅惑に満ちたリゾートです。

2009年
ブランド アイデンティティーを開始

世界中の人気滞在先で、その数が14軒以上となったセントレジスは、それぞれのホテルをつなぐ新しいブランド アイデンティティーの確立を目指すことになります。 新しいサービス、プログラム、スタンダードが、世界各地で変わることのないセントレジス体験をお届けします。 新しくなったウェブサイトでは、セントレジス ブランドの豊かな歴史、完璧なサービス、カスタムメイドの対応を紹介しており、セントレジスのポートフォリオの魅力もご覧いただけます。

2010年
初のセント レジス コノソアール

ポロへの関わりを深めたセントレジスでは、有名なアルゼンチン人ポロ選手、ナチョ・フィゲラスを、初めてのセントレジス コノソアールとして選定。 ファンの皆様のために、ポロ専用オンラインポータルも開始されます。世界のポロイベントスケジュールやポロの基礎知識、エチケットのアドバイス、フィゲラスがここだけで語るテクニックや旅行の秘訣にアクセスできるサイトです。

2010年
カリブ海に進出

前例のない急成長により、世界各地の主要ロケーションに新しいホテルが誕生し、カリブ海初のセントレジスとしてセントレジス・バイアビーチリゾート,プエルトリコがオープンします。 それぞれのホテルで卓越したサービスを保持するため、セントレジス ブランドではグローバルな運営スタンダードを差別化するとともに、セントレジスならではの特徴であるセントレジス バトラーサービスも見直しを行いました。

2011年
イリディウムスパ

セントレジス・ニューヨークの有名なイリディウムルームにちなんで名付けられた「イリディウム スパ」は、セントレジスの遺伝子を受け継いで産まれたスパです。 「イリディウム スパ」では最も貴重な贅沢、「時間」を重視し、お客様に合わせたサービスで人生観が変わるようなスパ体験をご用意しています。 どの「イリディウム スパ」も、個人の邸宅のような雰囲気や、トリートメント後のティーサービスで、セントレジスらしさを感じさせます。

2011年
グランドツアー

セントレジス・フローレンスが誕生したことで、中東への初進出を含む、約1年間に10のセントレジスホテルのオープンを達成。 また、世界的な印刷キャンペーンやソFacebookのページも開始いたしました。  Jason Wuが、パッション:スタイル&デザインの次期セントレジスコノソアールに就任しました。

2011年
中東へ進出

ペルシャ湾岸の素晴らしいホテル、セントレジス・ドーハをオープンし、セントレジスは中東のランドマークホテルとしてデビューします。 静かな青い海とどこまでも続く砂漠を背景にしたホテルは、魅惑の街、ドーハにその根強い伝統をもたらします。 ワールドクラスのスパ、一流のウォータースポーツ、有名シェフ、ゴードン・ラムゼイのレストランを備えたセントレジス・ドーハは、魅力的な新ホテルです。

2012年
世界15か国に30のホテル

セントレジス初のアフリカのリゾート、セントレジス・モーリシャスリゾートと、セントレジスにとって新たな現代のフラッグシップリゾートとなるセントレジス・バルハーバーリゾートのオープンを達成。 さらに、10月のセントレジス・ドーハのデビューにより、セントレジス初の「ジャズアットリンカーンセンタークラブ」をオープンしました。

 

闊達で、芸術感覚に優れ、強い意志をもったキャロライン・アスターが、伝説的なパーティーの主催者として、アメリカ上流社会のスターとなります。

キャロライン・アスターの末息子カーネル・ジョン・ジェイコブ・アスター4世が、贅沢を極めた新しいタイプのホテル、セントレジス・ニューヨークを創設します。

ジョン・ジェイコブ・アスター4世は、歴史上最も有名な沈没事故で、妊娠中の妻と看護婦を救命ボートに乗せた後、悲劇的な最後をとげます。

華やかなアメリカの黄金期の到来にあたって、セントレジス・ニューヨークは、有名なセントレジス ルーフを含む増築を進めます。

伝説的なアーティスト、マックスフィールド・パリッシュが描いたオールド・キング・コールの壁画がセントレジス・ニューヨークで披露されます。

セントレジス・ニューヨークのバーテンダー、フェルナン・プティオというカクテル作りの天才のひらめきが、アメリカ製カクテルのロングセラーを生み出します。

セントレジス・ニューヨークは、ホテル複合企業のITTシェラトンに買収され、同社のラグジュアリー部門に豊かな伝統をもたらすことになります。

1億ドルを投じた改装を完了したセントレジス・ニューヨークが、かつての華麗さに最新の設備を加えて再オープンします。

スターウッド ホテル&リゾートはセントレジス・ニューヨークを買収し、5軒のセントレジス ブランドをスタートさせて、その傘下を広げます。

セントレジスは、お客様の趣味や興味の対象に合わせてカスタムメイドの体験を提供するセントレジスAficionadoをスタートさせます。

セントレジスが「王室のスポーツ」を取りあげ、イギリスの3つの主要国際ポロマッチのひとつとなったセントレジス国際カップ初年度の試合を開催。

世界有数の魅力的なプライベートビーチに建つセントレジス・プンタミタリゾートをオープンし、セントレジスはランドマークホテルとして中南米に進出します。

100年以上に及ぶ歴史と洗練された本物の伝統を織り込んだ新しいウェブサイトを含め、新しいブランド アイデンティティーがスタートします。

初のセントレジス コノソアールとして、世界一有名なポロ選手、ナチョ・フィゲラスが選ばれます。

急速な成長により世界各地に新しいホテルがオープンし、運営スタンダードの差別化、セントレジス バトラーサービスの見直しにつながります。

セントレジスは、地元の特徴をいかしたカスタムメイドのスパ体験を提供する「イリディウム スパ」をオープンします。

セントレジスは、3つの新しいホテルで中東市場に参入し、中国初のビーチリゾートを含む5つのホテルを中国にオープンいたしました。

セントレジスは、中東初のホテル、セントレジス・ドーハをペルシャ湾岸にオープンし、伝統の傘下をさらに広げます。

セントレジスは、「インド洋の真珠」として知られる島で、アフリカへの華々しいデビューを果たしました。